平日は生徒、休日は“洗濯戦士”でした
私の家は共働き家庭でした。
父は仕事を2つしていて、私が目を覚ました時に、家にいたことなんてほとんどない。
「お父さんって夜行性の生き物なのかも…?」と本気で思ってた(笑)。
母はというと、私と姉の面倒を見ながら朝の支度でてんやわんや。
まるで洗濯機のように、あっちへこっちへグルグル回っていた。
私はといえば、自分でお弁当を詰めて、制服にアイロンをかけて、
“家族の一員”というより、もはや“チーム家事”の一員。
誰も号令をかけてないのに、それぞれが勝手に始まる“朝の家事リレー”だった。
平日はみんなが忙しく動いている分、家の中の“家事”はどうしても後回し。
掃除も洗濯も、土日にまとめてやるのが我が家のスタイルでした。
だから週末になると、洗濯カゴの中はまるで富士山のように山盛り。家族4人分の服が積み重なって、もはや洗濯カゴの“山脈”と呼んでもいいレベル。
そして、そんな状況を前に、なぜか自然と私が「洗濯担当」に定着していった。
母も仕事で疲れているし、父は家事があまり得意ではないし、そもそも隙間時間がない。だから子どもながらに「私がやらなきゃ」と思って、洗濯機のボタンを押していました。
平日はごくごく普通の中学生。
でも休日になると、洗濯物の山を前に“スーパー主婦モード”に早変わり。
洗濯機のスイッチを押す瞬間は、まるで戦闘開始ボタン。
「今日のノルマは3回転!」と心の中で宣言していた。
それでも、「せっかくの休みなのに〜」なんて思ったことは一度もない。
ぐるぐる回る洗濯機を眺めながら、
「よし、今日も我が家が回ってる!」と感じる瞬間が、
なんだか好きだった。
だけど、そんな“日常の習慣”の中で、ある日とんでもない事件が起きたのです。
忘れられない、あの日の体育
それがいつのことだったか、正確にはもう覚えていません。
ただ、まだ少し蒸し暑くて、体育の授業が地味にしんどい季節でした。
前の晩、私は慌ただしく洗濯機を回して、「よし、体操着も入れた!」と満足して寝ました。
翌朝。
玄関を出ようとしたその瞬間、脳内にピキーンと電流が走りました。
——あれ? 洗濯物、干したっけ?
慌てて戻ると、洗濯機の中にはびしょびしょの体操着が鎮座。
水をたっぷり含んで、まるで「わたし、まだここにいるよ」と主張しているようでした。
「うわー、さいあく!」と叫びながら取り出し、数秒間考えました。
私は一瞬のひらめきで行動に出ました。
——乾かしながら行けばいいじゃないか!
びしょびしょの体操着を自転車のカゴの上に広げ、
朝の風を最大限に利用する“走行式乾燥作戦”を決行。
通学路を疾走する私は、風を受けてバサバサとはためく体操着とともに登校。
まるで勇者のマントのように、いや、たぶん実際は“しっとりした布きれ”だったけど。
……その努力の結果が、あの「ぷ〜ん」事件につながったのです。
体育の時間になり、更衣室でいつも通り友達とおしゃべりしながら体操着に着替えました。
その瞬間でした。
……ぷ〜ん。
鼻をつく、強烈な匂い。思わず固まりました。
「えっ、なにこれ……?」
最初は誰かの体操着がくさってるのかと思ったんです。
でも次の瞬間、悟りました。
——これ、私の体操着だ。
実はその体操着──数日前から洗濯カゴの底に埋もれていたんです。
汗と皮脂と湿気がいい感じに混ざり合い、見事な発酵を遂げていたのです……。
体育館に広がる“納豆の香り”
その匂いは、もう“納豆”なんて可愛いレベルじゃありません。
納豆に温泉卵を混ぜて3日間放置したような、なんとも言えない発酵臭。
私が動くたびに空気がふわっと揺れて、体育館の中にじわじわと広がっていくのが分かりました。
「なんか臭くない?」
「え、誰か納豆持ってきた?」
「なんか……生暖かい匂いするんだけど……」
周りがソワソワし始めた瞬間、私は顔から火が出そうになりました。
逃げたい。でももう授業が始まってる。
この状況、どうする?どうすればいいの!?💦
そんなとき、ふと脳裏によぎったのは、
「笑われるくらいなら、自分で笑わせてしまえ!」という自分の声。
私はクラスでちょっとした“お笑い担当”みたいなキャラでした。
恥ずかしいことを笑い飛ばすのが得意で、どんなときも場を明るくするのが好き。
だから私は、思い切って大声で言いました。
「それ、私の体操着だから〜!!🤣」
笑いが救ってくれた
その瞬間、体育館が一瞬静まり返り、次の瞬間──大爆笑。
「マジで!?」「やばっ、納豆体操着!?笑」
みんながお腹を抱えて笑い出しました。
私もつられて笑いました。
恥ずかしさはもちろんありました。でも、それ以上に「笑ってもらえた」という安心感が胸いっぱいに広がったんです。
あのとき、笑いがどれほど人の心を軽くしてくれるものかを、身をもって感じました。
恥ずかしいことって、笑いに変えた瞬間に力になる。
そう気づいた出来事でした。
“あの日の教訓”と、今の私
それ以来、どんなに疲れていようが「1日一回」かならず洗濯する、という鉄則を守っています。
でも、あの出来事がくれた一番の教訓は、
「どんな恥ずかしいことも、笑いに変えれば大切な思い出になる」
ということ。
あのときの笑い声は、今でも私の心の中で鳴り響いています。
もし過去の自分に会えるなら、あの体育館の真ん中で叫んでいた自分にこう言いたい。
「よく自分から告白したね。あの勇気があったから、今の自分がいるんだよ」って。
そして今日も私は、洗濯機のスイッチを押しながら思うのです。
「もう二度と“納豆体操着”は作らないぞ!」と。
Since then, I’ve learned one thing — never underestimate the power of laughter.
(あの日から学んだこと、それは“笑いの力”をあなどるなってこと。)
最後まで読んでいただき、ありがとうございました